広告制作という舞台裏から、主役を引き立てる黒子として表舞台へ

人力車プロデューサー 車英人さんのST0RY

神田の住宅建築事務所で広告制作に携わるかたわら、ある広告主との出会いをきっかけに「人力車プロデューサー」というライフワークを見出された車英人(くるま・えいじん)さん。年齢を聞いて思わず二度見してしまうギャップが魅力的な車さんが、生まれ育った“土”にどのような“種”を見つけ、いかにして“芽”を開いたのか。「恥ずかしがりなくせに出たがり」を正直に生きる粋でいなせなST0RYをお話しいただきました。
インタビュー・文=神 誠(ST0RY編集部)

漫画への想いを広告の世界で叶える


――小さいころに好きだったこと(もしくは嫌いだったこと)は何ですか?


子どものころは勉強やスポーツが苦手で、絵を描くことだけが得意で漫画ばかり描いていました。好きな漫画を真似してストーリー漫画を描いていましたね。家が貧乏だったのでスケッチブックではなく、チラシの裏を使ってました。

想像力を使うクリエイティブの世界がずっと好きで、それが高じて広告の仕事が本業になったような気がします。絵が好きというと「絵画」の方に行く向きもありますが、僕はそうではなくて、ちょっとクスッと笑ってしまうような面白いことがやりたかったんでしょうね。

――小さいころに影響を受けた人は誰ですか?


それはもう手塚治虫や赤塚不二夫、藤子不二雄など、当時人気の漫画家たちですね。イメージを掻き立てられる空想の世界が大好きで、ウルトラマンのような特撮の世界も好きでした。ちなみに漫画というのはストーリーも作って絵も描いてという世界ですから、それが広告の世界に移るとコピーライター兼デザイナー。漫画への想いが別のかたちで実を結んだのが広告業界だったわけです。

そういえば昔『奥さまは魔女』という海外のテレビドラマがありまして。奥様はもちろん魔法使いなんですけど、その旦那さんが広告会社に勤めていて、劇中いつもキャッチフレーズを考えたりしていて、幼心に「キャッチフレーズなんてそんなものを考える仕事があるのか」と興味を持ちました。作文が得意でもないのにコピーに興味を持ったのはこの番組の影響でしょうか(笑)。

――小さいころの一番の成功体験を教えて下さい。


小学生のときにインタビュー番組の取材が入りまして、クラスの代表に選ばれてテレビ出演を果たした経験が一番ですね。いま思い返すと我ながら姑息だったなと思うんですけど(笑)、当時あまり目立つ方ではなかった僕は、自分より先に選ばれた友だちをまず大いに称えたんですね。実はその裏で「俺も指名してくれないかな…」という担任の先生へのアピールをしていて、見事3人目の代表として選ばれたんです。

しかも「あなたは政治家になりたいですか?」という番組の質問に対して、「健康に悪い」とかなんとか言った自分の答えが面白がられて、3人のうち僕だけひとりカットされずに放映されました。その日はテレビの前に親戚中が集まってかぶりつきだったので、僕は親戚の期待に応えられたけど、他のふたりの家族・親戚はさぞがっかりだったろうなとほくそ笑んでました(笑)。いずれにしろ「恥ずかしがりなくせに出たがり」という自分を象徴するエピソードだったなと思います。

――いまのお仕事を始めようと思ったきっかけはどんなことですか?


人力車プロデューサーのきっかけは、異業種交流会を通して知り合いだった株式会社くるま屋と、広告・集客の契約を結んで1年間べったり人力車の仕事に関わったことですね。実際にイベントや結婚式で俥夫の仕事を体験することで、人力車の奥深さと将来性を感じ、本格的にプロデュースしたいと思いました。

本業で広告を作るというのは基本的に裏方ですが、裏方をやっていたら表方もやりたくなったというのが本音です(笑)。「恥ずかしがりなくせに出たがり」という性格の自分にも、主役であるお客さまの黒子として、目立たないように車を引く人力俥夫というのがほどよかったんでしょうね。

シルバー世代こそ人力車で起業を


――いまのお仕事を通じてどんな世界を実現したいと思っていますか?


日本の観光地のいたるところで人力車が走る光景を実現したいですね。実は東京エリアで人力車が走っているのは浅草だけで、その次となると川越でだいぶ離れてしまう。ですから、まずは浅草以外の場所で走らせることが悲願です。銀座の歌舞伎座前あたりを発着所にしたらすごく映えそうだし、外国人の方も大喜びするんじゃないかと思うんですけどね。

あとは将来的に、シルバー世代の新しいビジネスとして広がってほしいという思いもあります。どこの街でもお年寄りが増えていくわけですから、リタイア後の“小さな起業”としてぜひやってみてほしい。人力車というのはタイヤを支点に均衡がとれていると意外と重くなくて、女性や高齢者でもちゃんと引けるんですよ。よくあるタクシーの運転手もいいですけど、人力車を引いている方が格好いいし、年を重ねても若々しくいられると思うんですよね。

――いまのお仕事を通じてどんな使命を果たしたいと思っていますか?


人力車と和文化を世界に伝えていくことに尽きますね。人力車の俥夫はたくさんいますが、たぶん人力車プロデューサーをを名乗っている人間は他にいないので、ユニークな存在としてユニークなことをやっていきたいです。

それともう一つの目標は、シニアの星になること。僕は今年60歳で還暦を迎えますが、人力車で独立してやれるんだということをもっとアピールしたい。会社を辞めたら退職金で人力車を買って(笑)、人力俥夫になって地域の子どもたちやお年寄りを引きましょうよと。「人力車の走る街」というだけで活気が出るし、みんなから承認されてヒーローになれて健康にもなれる。シルバーの人力俥夫が増えればきっとたくさんの問題が解決しますよ。

――いまのお仕事で最初に手ごたえを感じたのはどんなときですか?


両国の「江戸NOREN」という和食店が集まる商業施設に人力車の発着所を設置できたときですね。先ほどもお話ししたように、浅草以外の場所ではずっと人力車が走っていなかったので、くるま屋の社長と一緒に開拓しようと狙いを定めたのが両国でした。

ご存知「相撲」の街であり「江戸東京博物館」「北斎美術館」のようなシンボル的施設もあるのですが、たまたま江戸東京博物館が工事のため長期間閉館になるということもあり、タイミングよく江戸NORENの担当者が興味を持ってくれて、発着所設置につながりました。

ただこれには失敗談もありまして、人力車を引いていた若い俥夫が熱中症で2回も倒れるというトラブルがあり、お客さまの安全を第一に考えて一旦中止にせざるを得ませんでした。しかし浅草以外で人力車を走らせるという願いに近づく、大きな一歩だったと思っています。

――いまのお仕事をこれからどのように発展させたいですか?


人力車の師匠であるくるま屋の松岡社長、そして最近ご縁があった忍者エンタメプロデューサーの高木桂一さんらと共に、人力車を発端に和文化を伝承するネットワークを広げていきたいと思っています。すでにCOREDO室町で人力車×三味線のイベントを仕掛けて注目されましたが、他にも新郎が俥夫スタイルで新婦を乗せた人力車を引く結婚式のイベントや、忍者パフォーマンスによる披露宴の演出など、ブライダル業界への営業にも力を入れています。

そしてもう一つ、人力車は乗るよりも引く方が面白いと思っているので、俥夫体験の楽しみをいま以上に伝えていきたいです。特に海外から来られるお客さまには、「いなせ」と称される俥夫の格好にコスプレしながら引く楽しみを感じてもらいたい。着た衣装をお土産にしてもらうのもいいかもしれません。人力車を広めるアイデアは無限にあるので、自分が面白いと思えることを仕事にして、一生走り続けていたいですね。

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