英語学校のマクドナルドを目指すフィリピン留学のパイオニア

ENGLISH BREAKTHROUGH フィリピン英語留学スクール運営 神谷俊介さんのST0RY

フィリピンNO.1都市のケソン市で英語学校をオープンし、トップクラスの現地人の先生とハイレベルなマンツーマン授業を提供するENGLISH BREAKTHROUGH神谷俊介さん。彼の地で信頼できる先生たちに囲まれながら創業後12年目を迎える神谷さんが、生まれ育った“土”にどのような“種”を見つけ、いかにして“芽”を開いたのか。幼少のころに育まれた探求心と開拓精神にあふれる強かなST0RYをお話しいただきました。
インタビュー・文=神 誠(ST0RY編集部)

フィリピンでの3週間ミラクル体験


――小さいころに好きだったこと(もしくは嫌いだったこと)は何ですか?


いろいろと凝り性だったのですが、小学生の間はひたすら生き物を集めていました。当時住んでいた田舎にはドブ川があって、道の途中にある真っ暗なトンネルの中を、虫取り網1つ持って入っていくんですね。中はクモの巣だらけで、虫やら何やらが顔に当たったりしてすごく怖いのですが、生き物を獲りたいという願望が勝って夢中で突っ切っていく(笑)。すると、トンネルを抜けたときに網の中にいろんな生き物が入っていて大興奮したことを今も覚えています。

――小さいころに影響を受けた人は誰ですか?


一番影響を受けたと思うのは塾の先生ですね。地元で有名なスパルタ塾があって、初めて見学に行ったときに「この塾は厳しいが3年間継続できたら必ず一番の学校に行ける」と言い切った先生の話に感銘を受けました。小学生ながらに、この塾にかじりついて乗り切れば人生が変わると思いましたね。

先生は噂に違わず怖かったのですが、厳しさの中に愛情があって、それが我々のためであることをひしひしと感じました。家庭の中ではほとんどふれたことのない対極的な環境で、厳しくも優しさのある指導に頼りがいや尊敬を感じましたね。

――小さいころの一番の成功体験を教えて下さい。


先ほどの塾で3年間、週3回、病気で熱が出ようが一度も休まずに通い続けた結果、本当に言われた通り一番の学校に合格できたことですね。どちらかというと小学校のときは勉強が嫌いで苦手なタイプだったのが、小学校6年から中学校に上がるタイミングでいきなり優秀な生徒に変わったんですね。言ってみれば完全なる「変身」でした。まわりの友だちからも「イメージがまったく変わったね」と驚かれて不思議な感覚を得ましたね。

――いまのお仕事を始めようと思ったきっかけはどんなことですか?


自分のフィリピン留学経験が大きなきっかけです。当時、香港で英語のマンツーマン授業を受けるとネイティブで1時間5000円、流暢な香港人だと4000円は取られたんですよ。それがフィリピンの留学では1日8時間のマンツーマン授業を3週間みっちり受けて10万円もしなかった。しかも香港人の先生よりもレベルが高くて、ほぼネイティブレベルでしたから「これはミラクルだ」と。レベルにも料金にも感動しつくしで、その3週間は本当にセンセーショナルな体験でしたね。

ただ、もともとは香港で人材会社を起業しようと思っていて、3週間のフィリピン留学も英語力を身につけるための手段でした。もちろんフィリピンで英語教室をやるとは夢にも思っていなかったのですが、縁あって入学したフィリピンのビジネススクール在学中に、景気の悪化にともなって香港の人材マーケットが停滞しはじめていて、そんなときにふと“あの3週間”の興奮が甦ってきました。「ああ、このフィリピン留学を日本人に伝えることが自分の使命なんだ」と感じたのです。

ちょうど同じころ、ビジネススクールの卒論で現地の不動産を調査しているうちに、今の学校の校舎を見つけてしまいまして。デザインが気に入って問い合わせたところ、オーナーにも「お前に貸したい」なんて言われてもうやるしかないと(笑)。親に借用書を書いていくらかお金を借り、勢いで起業してしまいました。これには後日、涙なしには語れない後悔の日々を送るというオチがつくのですが(笑)。

――いまのお仕事を通じてどんな使命を果たしたいと思っていますか?


自分が体験してみて、フィリピン留学が日本人にとって絶対に役立つし、素晴らしくコスパのよい英語留学を提供できると確信があったので、パイオニアとしてとにかく歯を食いしばり、完全に終わるまでは死ぬ気で行こうという一念ですね。

実は一度あきらめかけて、3日間ひたすら泣き続けたこともあったのですが、泣き終えたときにはむしろ晴れ晴れとした気持ちになり、倒産するならそれをネタにしようと考え方を180度変えました。どのみち部屋が空いてるのはもったいないので、フィリピン人の先生にタダ同然で入居してもらおうと思い、チラシを作って貼り出したところ予想以上に問い合わせがありました。そのときに住み込みで入ってくれた第1号の先生がすごく協力的で、今でも友人関係を続けています。

疑われるほど安いコスパの追求


――いまのお仕事で最初に手ごたえを感じたのはどんなときですか?


住み込みで先生が入居したときに、実は100人以上の知り合いに「頑張ってるから助けてください!」と悲痛のメールを送りました(笑)。そこからまず一人目の生徒さんが来てくれて、僕らのレッスンに満足してくれた。そのときの楽しげな写真や動画を当時主流だったmixiに投稿したところ反響があり、生徒数が少しずつ増えていったのが励みでしたね。

また、フィリピン人のお医者さんカップルやモデルをしている女性が先生をやってくれたことも大きな助けになりました。そうこうしているうちに、あきらめかけてから4ヶ月で11部屋が全部埋まり、その間に僕自身は廊下で寝ることにはなりましたが、涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。とても幸せな記憶ですね。

――いまのお仕事を成功に導いた要因はなんだと思いますか?


住み込み第1号の先生にもすごく感謝しているのですが、実はもう一人恩人がいます。韓国の学校で一緒に学んでいた日本人の女性なのですが、スクールを始めてすぐのころに、彼女が韓国の学校から転校してきてくれたのです。彼女はビジネススクールに通っているときから相談相手にもなってくれて、英語学校も「絶対に成功すると思う」と後押ししてくれていました。

すでにお話ししたように、オープン当初は最悪の状況でしたので、彼女にはいつ日本に帰っても構わないと伝えていましたが、それでも居続けてくれました。「彼女があきらめていないのになぜ俺があきらめるのか」という思いも、あきらめずに踏みとどまれた理由のひとつでした。過去の記念すべき写真の多くに彼女が写っていますが、その存在がなかったら本当に最初の段階で終わっていたでしょうね。

――いまのお仕事をこれからどのように発展させたいですか?


今年で12年目を迎えましたが、おかげさまでほぼ満員の状態が続いていい流れを感じています。ここからさらに英語学習のノウハウを深め、エージェントを使わずに安く留学できる「コスパNO.1」を極めて、さらに人気の学校にしたいというのが短期的な目標です。

もうひとつ、日清やマクドナルド、ケンタッキーという企業がみなさん50歳を過ぎてから成功しているのですが、そのきっかけがみな共通していて、要は「簡単にマネされない」「安くてコスパのよい」「マスから支持を集める」商品を生み出したことで爆発しているんですね。

うちの学校もコスパを極めて、他社がマネできないレベルに至ったときに沸点が来るのではないかと期待しています。今はまだ「何でそんなに安いんですか?怖いんですけど…」と引かれることもありますが(笑)、他の追随を許さないコスパを追求しつつフィリピン中に学校を建て、日本はもとより世界中に進出したいと思っています。

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